柴山ひとみ 丁寧にていねいに紡ぎ続ける

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インタビューVol.6 柴山ひとみ
起雲寺”絹英”/講師

お寺の朝は早い。 まだ夜が明ける前から、一日がはじまる。私が暮らす人里離れたこの場所は、いのちの音で溢れています。川のせせらぎに鳥や虫の声。ポキポキと木々が会話する音。それらが溶け合った新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込むと、自然と身体の中が透き通っていくような感覚に包まれます。連綿と続く世界において、私自身もまた、この世界の一部である。ふとそのことに気づき、点在する過去と未来が一つにつながる心地よさ。あらゆる瞬間が、私にとってはヨガであると感じます。

私がヨガをはじめたのは、20代のときでした。ヨガに通い出した一番の動機は「運動不足を解消したい」といった単純なものに過ぎません。ところが、実際に自分の身体がどう動くのか感じ、何を意識して向き合えばいいのか考えることが、私の好奇心をくすぐったのも事実です。ヨガスートラにはじまり、哲学、心理学、仏教に関する本から占星術の本まで。好奇心から知識を深め、知識は新たな好奇心へとつながっていきました。

そんな中、少しヨガから遠ざかる期間がありました。本当のことを言えば、自分の人生の道が見えなくなり、ヨガをする気力さえ失ってしまった。 そんな時期があったのです。ある日、とにかく自分を変えたいという思いから参加した震災のチャリティイベント。そこでヨガセラピスト協会で受講された方による、ヨガレッスンを受けました。何を食べても砂を噛むようで、夜も眠れず、笑い方すら忘れ、黒塗りの小さな世界に自分を閉じ込めてしまっていた、当時。ヨガを通じて新鮮な空気が身体の奥深くまで流れ込んだ瞬間、言葉にできず溜め込み続けた思いが涙となって、一気に溢れ出ました。気がつけば以前のように、ヨガをもっと深めたいという探究心が戻っていました。とりわけヨガセラピスト協会の存在が気になり、ホームページから暁子先生宛てに、思い切って送ったメール。私の想い一つ一つに応える丁寧な回答に、一歩、また一歩と前に踏み出す力をもらいました。自分自身を救ってくれたヨガを多くの人に広めたい、という強い想いを実現するべく、ヨガセラピスト養成講座の受講を決心しました。

ヨガセラピスト協会の教えは、私の内側に、とてもすんなり入ってくるものでした。講座からの帰り道、車中から何度も目にした、燃える夕日が海岸線を茜色に染める光景。大いなる世界、果てしない自然の輝きに包まれる喜び。呼吸をするだけで、今、ここに生きているだけで感じる幸せ。レッスンを重ねるたびに、日常に散らばる小さなヒントへの感性が、研ぎ澄まされていく。私がより私らしくいられるような、そんな心地よさがありました。ただ一つだけ、私には苦手なものがありました。 それは、人前で話すこと。講座の中でもうまく自分を表現することができず、言葉が詰まってしまうことがありました。つまづき戸惑う私に、そっと寄り添い続けてくれた暁子先生。無理をして言葉を作り出すのではなく、ヨガの持つ力を信じること。その大きな力にそっと手を添え、流れを感じとる。ただそれだけでいい。そのことに気づくと、不思議と人前でも緊張が解けていくのがわかりました。

ヨガセラピスト協会を卒業したあと、偶然にも「お寺でヨガをやってみないか」という話が舞い込みました。以前から仏の教えとヨガの哲学に、通じる部分があると感じており、また、話を持ちかけてくれた住職の「地域住民が集まるコミュニティを作りたい」という考えにも強く共感し、お引き受けすることにしました。絡まる糸に心が焦り、無理に解こうとすればするほど、キツく自分自身を縛り付けてしまった過去。あのときの私ほど深刻でなくとも、誰しもが意図せず結び目を抱えてしまっていることが多いです。そんな結び目を、ゆっくりゆっくり緩めていくこと。 それがお寺のヨガです。

本堂の中をオレンジ色に染める光が、深く斜めに差し込むころ。みんなの顔が生き生きと輝き、それぞれ異なる背景をもった人同士が、一本の糸で紡ぎ合わされたような空気が漂います。参加者の方は毎回違うので、何が正解なのか未だに迷うこともあります。そんなときは無理に答えを求めようとせず、ヨガを伝えることに集中するようにしています。私から何かを与えるのではなく、一人ひとりの中にある優しさや温かさを感じてほしいから。

以前、お坊さんの方々の前でヨガをやらせていただいた際、「先生の声がだんだん透明になっていった」という言葉をいただいたことがあります。私がヨガを通じて表現したいことが届いたような気がして、とても嬉しかった。お寺のヨガを続けるうちにご縁がつながり、山奥のお寺に嫁ぐことになりました。あまり人の寄り付くことのなかった山寺に、ヨガをきっかけに人が集まるようになる。人を集めてヒーリングライトを灯すイベントを開いたり、精進料理をお出ししてお寺への理解を深めていただいたり。関わりを持つことで、広がっていく可能性。なんだか、毎日手を合わせている仏さまのお顔まで変わってきたような気すらします。私自身も仏の道に生きるものとして得度という儀式を受け、仏門における名前をいただきました。 「絹英(ケンエイ)」私がこれまで感じてきたことにピッタリと重なる二文字に、とても驚きました。細く透き通る糸から強くしなやかに輝くシルクを織りなすよう、英知を伝える存在でありなさい。そう言われているように、私には感じます。

大きな挫折を味わったことも、そこから抜け出したことも、未だに迷い戸惑うことも、すべてが私にとって必要なこと。すべて私が歩んできた道であり、これからも歩み続ける道です。現在私がやっているヨガは、もしかしたら、一般的に思い浮かべる、華やかなヨガのイメージとは異なる部分も多くあるかと思います。けれど私は、それ以上でも以下でもなく、ありのままのたった一人の私として、今できることをやり続けることが、何よりも大切だと考えています。養成講座を通じて、一人ひとりがその人にしかできないヨガを探し、その心地よさを知ってもらいたい。 そのお手伝いができたら、どんなに嬉しいことだろうと思います。

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