みやはらです。ヨーガ根本経典=スートラの解説者でもあり、ヴェーダーンタ哲学の開祖でもあるヴィヤーサが書いたとされる『マハーバーラタ』の中の『バガヴァッド・ギーター』を、最近無性に読み返したくなりました。インドを独立に導いたマハトマ・ガンジーの指針の書でもありますね。
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ギーターという物語は、戦いを嫌がる主人公の、戦士アルジュナに、クリシュナ神が「戦え。」と説得するやり取りがお話の内容。非暴力を謳うヨーガの聖典、或いはガンジーの愛読書にしては過激な印象を受けるものです。
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クリシュナの主張はこう。今まで武人として生きてきたからにはその責務を果たせ、と。あなたはどう生きる訓練、或いはプラクティスを、自分に課してきたのですか?と。平等哲学とも云われヨーガは、決して不平等の上に成り立つ殺人を肯定している訳ではありません。
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インドでヨーガを勉強している時、責任を肩から下ろしなさい、と言われました。結構しっかり戒律を重んじるイメージがあったヨーガの師にそう言われるのは意外でした。今思えば、当時、わたしの肩に乗せていた「責任」は、わたしの外から来たもので、わたしが真に納得している様に見えなかったのでしょう。
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\わたしが心から自分に課してきた役割って何?/
それがクリシュナのいう責務なのだと理解しています。
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わたしは物心付いた高校生の時から、ずっと途切れることなく、市民活動をしてきました。そして、ある時から最も光り輝くソリューションとして、わたしの前に在り続けてくれたのが、ヨーガでした。ヨーガは何の道具が無くとも、或いは寝たきりになったとしても、心身の健康に大きく貢献し、歴史を越え生き残る哲学や指針を示し、社会をダイナミックにも変えていける力を秘めている。うん、だから、さぁ、引き続きこの道を歩いていこう。平時でも有事でも。
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そしてバガヴァッド・ギーターは、布施についても記しています。この状況下、自分も何かしたい、と思う気持ちを、後押ししてくれるかもしれないと、記載してみることにします。
・当然なすべきと考え、見返りを求めず場所と時間と受け取る相手とが適切な場合に与えられる布施は、善性優位な布施
・見返りを望み内心厭厭ながら行う布施は動性優位
・不適切な場所と時間に敬意が払われず寧ろ軽蔑心も抱きながら、与えるに値しない相手に施すのは暗性優位の布施。
布施をしたいなら、力になりたいなら、したらいい。頭でごちゃごちゃ、でもあっちの問題には寄付してない、とか、考えんでも、今、したいなら、したらいいのかな、と思う次第です。ハートに聴こう。
戦士アルジュナとわたしたち 〜今、バガヴァット・ギーターを考える〜
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